【痛み】人生の終わり方について思うこと【苦しみ】
今回は人生の終わり方について書きます。この件を記事にしようと思った理由は今日の夜勤明けに急変が2件あったからです。心肺停止状態で発見され心臓マッサージを行った患者さん、本人は拒否したけれども家族の強い勧めで人工呼吸器を導入した患者さんがいました。2人とも望んだ結末ではなかったと思いますが、それでも意に沿った対応にはなりませんでした。では我々は自分の望む最期のために今からどんな準備をすべきでしょうか。
自分の最期は自分では決められない。推定意思について
自分の寿命が尽きる時、多くの人は自分の意思を明確に示す事が出来ません。何故なら重篤な状態にある場合、意識がないか痛みや呼吸苦などによって正しい判断を下す事ができないからです。従って医療処置の方向性については妻や夫、親や子女が下す事になる場合が多いのが現状です。
医療従事者としては家族の年齢や理解力に合わせてなるべく簡単な言葉で分かりやすく情報を伝える様配慮しているつもりなのですが、なかなか伝わりきらない事もあります。時として家族の強い希望により生存確率の低い処置強行せざるを得ない場合も少なからずあります。こうした後悔は医療従事者なら多かれ少なかれ経験があるでしょう。
しかしそもそも自分の命は自分のものであるべきで、他の誰のものでもありません。医療従事者が本人以外の家族を病院に呼んで病状説明や医療の方針の決定を促しているのはあくまで本人に代わる意思決定者がいないからなのです。本人だったらどうして欲しいと思いますか?本人に代わって意思決定をして下さい。これが推定意思の本質的な考え方であるべきだと思いますがなかなか上手く行きません。そうした事態はどうすれば回避できるのでしょうか。
最期が近しいと思われる際、病院から求められる判断について
病状が重篤または高齢で生物学的に天寿を迎えそうな患者さんが来院し入院が不可避な状況である場合、自然なお看取りのために高度に侵襲的な治療を放棄する様促される場合があります。高度な侵襲的治療とは昇圧剤の使用、人工呼吸器の使用、心臓マッサージです。
血圧の昇圧、人工呼吸器の使用、心臓マッサージの3つの治療は密接に関わり合っています。いずれか1つの治療を始めた場合、死期が近い事が予想されるため他2つの治療も直ちに始めなければならない場合が多いです。例えば心臓マッサージを始めた場合、血圧を上げる薬を使って心臓の機能を高めないといつまで経っても回復しませんし、多くの場合呼吸も止まってしまっているので人工呼吸器を使わなくてはいけません。ですのでこれらの3つの治療を部分的に希望してもあまり意味はないのです。もちろん侵襲的な治療を放棄する旨の誓約書を書いたからといっても標準的な治療は完全な形で受ける事が出来ますし、意思決定はいつでも覆す事ができます。
意思を明示するために
意思を明示するためには日頃から家族内で推定意思を決定すると思われる人にどうして欲しいか伝えておく事がベストです。看護師でもあったロンドンブーツ田村さんの母は事あるごとに子である淳さんに積極的治療を行う意思がない事を告げていました。最近感心した記事の1つなので添付しておきます。
また日本尊厳死協会が発行する終末期医療に関する事前指示書にはどの様な医療を望むのかあらかじめ明示しておく事が出来ます。家族の推定意思の他に自身の意思を文章という形で残しておくことができます。
15歳以上であれば入会する事ができ年会費は2000円または永久価格70000円との事。
以前この協会の会員が入院された際、終末期医療に関する事前指示書がコピーされカルテに挟まっていました。医療の方針はスタッフ間で共有され望まない侵襲的治療ではなく緩和的処置を行える様連絡を密にしていた事を覚えています。
緩和ケアとは
侵襲的な処置(延命処置)を拒否した所で疾患から来る痛みの緩和は必要です。例えば癌末期の痛みや呼吸苦など、人生最大の痛みや苦しみから逃れる術も病院は備えています。
しかしながら緩和ケアは痛みや苦しみからの逃避と引き換えに死期が早まる場合がほとんどです。不治の病に直面した場合、侵襲的治療を放棄するのであれば苦しむ時間を短くできる様速やかに緩和ケアに移行する事が望ましいでしょう。
人は誰しも無限に生きるわけではありません。死=医療の敗北との観点も根強い病院で終末期医療を行なっていく事がまだまだハードルが高い様に感じています。もはや終末期の有り様はもはや自分自身で決めていかなければならない時代になってきたと感じています。
以前書いた記事です。DNR(Do Not Rescue)について書いています。今回の記事と内容が少し被る所もあるのでご一読いただきたいです。